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3月11日、地震当日

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3月11日
職業安定所(仙台MTビル4F)
登録後1回目の来所で行われる「説明会」
13:30~15:45(予定)
 
一通りの説明を終え「雇用保険受給資格者証」を各個人に渡している最中での出来事。
 
突然の揺れ。
かなり大きく…。
すごく長い…。
 
そして、電気が消えた!
悲鳴が聞こえてくる。
 
スタッフが参加者を落ち着かせようと声を掛ける。
「このビルは耐震設計されているので大丈夫なハズですから」
 
ハズ…?
 
遂に「近年中に(確実に)来ると予想されている大地震」が来たか!?
 
揺れが治まり、子供連れの方と女性の方から外へと避難。
当然エレベーターは止まっているので非常階段。
他の人達を先に行かせて自分は最後の方に外へと出るが、その後は我先にと急ぎ帰路へ。
家が心配だ。
 
信号も止まり、周りでは皆が建物の外へ非難し不安な様子。
明らかに今までの地震とは違う、何やらヤバそうな雰囲気。
 
自転車なので交通事情を問題としないが、片道40分の間、様々な考えが頭に浮かぶ。
 
古い我が家は崩れてるかも。
でも崩れてないかも。
崩れていたら、母はどうしてる?
まさか瓦礫の下!?
いや、さすがに逃げてるだろう。
でも母は足が悪い。
もし逃げ遅れてたら…
家が崩れてないなら、どうしてるだろう??
 
どれもありそうで、全く予想が絞れない。
 
家が見えた。
崩れてない。
 
玄関を開けようとしたが開かない。
「玄関は開かないから廊下から入って」
 
中に入って散々な光景が見えたが、それよりも母が出てきて第一声。
「ごめーん(涙)、(MASA)の荷物守れなかったー(涙)」
…半泣きになってた。
 
「そんな事はどうでもイイから」
素直に、本心からそう言えた。
普段はコレクションを大事と言っているのに…。
 
聞けば、母は必死にテレビを守っていたらしい。
…そんなのどうでもイイから逃げてくれ(汗
「だって、倒れて割れたら後片付け大変だしー」
周りには食器などの瀬戸物、母がコレクションしていたグラス類が割れ散らかっている状態。
 
……。
 
 
自分の部屋を見に行く。
 
「あーあ…」
 
それしか言えなかった。
 
見るも無残。
散々たる有様。
 
物と言う物が飛び出し、あたり一面に散乱し、棚は倒れ放題。
一番大きな本棚が倒れて背を向けている。
その手前では複合機が逆さまになっていた。
 
「あーあ…」
 
完全に壊れただろうな…。
 
 
電気とガスは止まったが、幸いにも水は出た。
 
日が暮れると物凄く寒い。
電気が点けられないので暗い。
 
懐中電灯の明かりを点けて過ごす。
 
普段の「当たり前の生活」が、いかに有りがたい事なのか知らされる。
 
携帯ガスコンロと石油ストーブが保管されていたので、それなりに生活はできた。
携帯ガスボンベも、常に買い置きがある状態にしていた。
まさに、「備えあれば憂いなし」
 
ラジオを常につけた状態にして、そこで津波の被害を知るも、読み上げた声だけの情報で実感がわかない。
 
それよりも、身近な問題として、食糧難。
何度か買出しに走るが、満足に買えないこと多数。
並んでる間、前後の方々と世間話。
「旦那さん」と呼ばれ……、ちょっとショック(T_T) 
 
 
やっと携帯が繋がる様になった。
メールは無かったけれど、某携帯コミュニティーサイトにて伝言などのコメントが多数入っていた。
あぁ…自分にも心配してくれる人がいるんだなぁ…。
マジで泣けた。
ネット上で知り合い、実際には名前も顔も知らないのに…。
ありがとう…(T_T)
 
それに比べて、身近に入る友人知人からは全く連絡が無いのが寂しい…。
同じ地元で同じ目にあっているから、それどころでは無いのかもしれないけど。
無事だったら連絡くれても…。
 
 
数日後、待望の電気が復旧。
早速テレビをつけて…。
 
目を疑った。
言葉が出なかった。
 
マジか…!?
 
自分の周りは全く津波の被害は無いので、テレビの中の情景はどこか異世界の事の様に感じた。
しかし、明らかに地元。
しかも、何度も足を運んだことのある、比較的近場でもある。
 
 
事は深刻で悲惨なものとなっていた。
さらに、追い討ちをかけるように原発問題。
 
そして、今もまだ解決していない…。
 
 

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